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縁起1
 身延のご草庵に住まわれていた日蓮聖人は、今の思親閣がある身延山山頂によく登られ、亡き父母のお墓のある房総の方を拝されてはご両親を偲ばれました。
 建治三年九月のことと伝えられています。山頂から下山の道すがら、今の高座石と呼ばれている大きな石に座られて日蓮聖人は、ご信者方にお説法をされていました。その時、一人の妙齢の婦人が熱心にこのお話を聴聞していました。
 「このあたりでは見かけない方であるが、一体だれであろうか」と、波木井公をはじめ一緒にお供をしていた人達はいぶかしく思いました。
 日蓮聖人は、ご信者方の不審に思っている気持ちに気がつかれると、その婦人にむかって、「そなたの姿を見て皆が不思議に思っているので、あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」といわれました。
 婦人は笑みをたたえて、「お水を少し賜りとう存じます」と答えられました。日蓮聖人は傍らにあった水差しの水を一滴、その婦人に落としました。すると今まで美しい姿をしていた婦人は、たちまち龍の姿を現じ、「私は七面山に住む七面大明神です。
 身延山の裏鬼門をおさえて、身延の山を守っています。末法の時代に、法華経を修行し南無妙法蓮華経のお題目を唱える者を守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます」と言い終えるや、七面山の方に空高く姿を消していきました。
 その場に居合わせた人々は、この光景を目の当たりにし随喜の涙を流して感激しました。日蓮聖人は、ご在世の間に、いつか七面山に登って七面大明神をお祀りしようと思っていましたが、残念ながら日蓮聖人は七面山には登られてはおりません。
 お弟子さん達に何度も「七面山に登りたい」とお話をされていたのでしょうか、日蓮聖人ご入滅後十六年目に、お弟子の中でも師孝第一と仰がれていた日朗上人は波木井公(当時は出家して日円)らと共に、七面大明神をお祀りするために、はじめて七面山へ登られました。当時の七面山は道なき山でありましたので、日朗上人一行は尾根伝いに、この山へ登られたといわれています。
 七面山に登るとそこに大きな石があり、その前で休まれたところ、この大きなお石の上に、七面大明神が姿を現して日朗上人一行をお迎えになりました。日朗上人は、この大きなお石を影嚮石(ようごうせき)と名付け、その前に祠を結んで七面大明神をお祀りし、「影嚮宮」(ようごうのみや)と名付けられました。
 これが七面山奥之院の開創で、永仁五年(1297)の9月19日のことでした。後に社殿は何回かにわたって改築され、現在のように参籠殿なども立派に整備された七面山奥之院となりました。
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